イーサリアムという仕組みの上で、お金の出どころを追えなくするプログラムがあります。Tornado Cashです。多くの人から同じ額のお金を預かり、あとで別の宛先へ引き出せるようにします。誰が入れたお金を誰が引き出したのかが、記録から分からなくなります。お金を預かる部分のプログラムは、作った人を含めて誰も書き換えられない形で動いています。
2022年8月、アメリカ政府はTornado Cashを制裁の対象にしました。北朝鮮のハッカーが盗んだお金の出どころを隠すのに使った、という理由です。アメリカの人は、このプログラムを使うと法律違反になりました。
では、誰も書き換えられないプログラムを制裁したとき、使う人はどうしたのでしょうか。
入金は大きく減りましたが、制裁が外れると戻りました。このプログラムには、イーサリアムで使うお金であるイーサを入れる窓口が4つあります。その4つへの入金を、記録から1件ずつ数えました。制裁の2年半あまり、1か月の入金の件数は前の5分の1ほどに減りました。2025年3月に制裁が外れると件数は戻り、2026年7月には、制裁の前のどの月よりも多い約1万1千件になりました。
1か月ごとの入金の件数です。青い棒が、制裁が続いていた月です。点線は、制裁の前でいちばん多かった2021年6月の件数です。
最初の2019年12月は月の途中から、最後の2026年10月は28日までしか数えていないので、この2つの月の棒は薄くしています。ドルに値段を合わせたコインなどの窓口と、イーサリアム以外の仕組みは数えていません。
出典:イーサリアムの記録(Tornado Cashのイーサの4つの窓口への入金・2019年12月〜2026年10月28日・世界標準時)から筆者が数えた。数え方は元データと同じ場所の method.md・元データ
ただし、件数が戻ったことは、使う人やお金が前と同じだけ戻ったことと同じではありません。解除のあと、制裁の前より入金が増えたのは、いちばん小さい額の窓口だけでした。入ったお金の額で見ると、解除のあとの1か月の平均は、制裁の前の半分ほどです。過去最多の件数は、何が戻ったことを示しているのでしょうか。この問いには、3つ目の節で答えます。
この記事は、制裁が正しかったかどうかを決めません。確かめるのは、制裁の前とあいだとあとで使われ方がどう変わったかだけです。
制裁のあいだ、このプログラムの利用は大きく減った
4つの窓口への入金を、最初の1件から全部数えた
Tornado Cashのイーサの窓口は4つあり、入れる額が窓口ごとに決まっています。0.1イーサ、1イーサ、10イーサ、100イーサの4つです。1つの窓口に入るお金は、どれも同じ額です。同じ額のお金がたくさん集まるので、どの入金がどの引き出しにつながるのかが分からなくなります。
イーサリアムでは、お金の動きがすべて記録に残り、誰でも読めます。この記録から、4つの窓口への入金を、2019年12月の最初の1件から2026年10月28日(世界標準時)の途中まで全部数えました。合わせて300,874件です。
数え漏れが無いことは、2つの方法で確かめました。このプログラムは、入金のたびに0から順に番号をふっています。1つ目に、数えた入金の番号が0から欠けずに並び、同じ番号が2度出てこないことを確かめました。2つ目に、プログラムが持っている「次にふる番号」を別に読み、数えた件数と比べました。4つの窓口とも一致しました。
数えていないものもあります。ドルに値段を合わせたコインなどを入れる窓口と、イーサリアム以外の仕組みの上の窓口です。誰が入れたのかも見ていません。この記事の「入金の件数」は、イーサの4つの窓口に入った回数だけを指します。
制裁のあいだの1か月の入金は、制裁の前の5分の1ほどだった
制裁の前の1年間、1か月の入金は平均6,153件でした。制裁が続いたあいだ(まるごと数えた30か月)の平均は1,349件で、前の5分の1ほどです。入ったお金の額で比べても、同じく前の5分の1ほどでした。
3つの期間で、1か月あたりの入金の件数を平均しました。
制裁が始まった2022年8月と、外れた2025年3月は、月の途中で状態が変わるので、どの期間にも入れていません。
出典:同上・元データ
減り方は急でした。制裁の前の月の2022年7月には7,789件の入金がありました。制裁の翌月の9月は811件で、10分の1ほどです。それでも、プログラムは制裁のあいだも入金を受け付け続けました。
比べる期間の区切り方を変えても、この比はほとんど動きませんでした。制裁の前を2年間や半年間にしてみました。制裁のあいだも、最初の1年だけや、最初の4か月を除いた2年間にしてみました。どの組み合わせでも、比は6分の1から4分の1のあいだに収まりました。
裁判所は、誰も書き換えられないプログラムは制裁できないと判断した
政府は、プログラムを団体の財産として制裁した
アメリカ政府の制裁は、財務省の中の担当の部署が決めます。制裁の対象に決めることを、指定と言います。制裁の対象に決まると、アメリカの人はその相手と取引ができなくなります。2022年8月、財務省はTornado Cashを1つの団体として指定しました。そのうえで、お金を預かるプログラムを、この団体の財産として止めようとしました。
財務省は同じ年の11月に、いったん外して同時に指定し直しています。このとき、北朝鮮への制裁の根拠になる大統領の命令を、理由に書き足しました。指定し直したときの対象には、プログラムのイーサリアムの上の置き場所を示す番号が53個並んでいます。
裁判所は、持ち主のいないプログラムは財産に当たらないとした
このプログラムを使っていた6人が、財務省を相手に裁判を起こしました。制裁は、法律が財務省に与えた権限を超えている、という訴えです。最初の裁判所は、財務省の側を認めました。
2024年11月、上の裁判所はこの判断を覆しました。制裁のもとになる法律は、外国の相手が持つ「財産」を止めることを認めています。上の裁判所は、誰も書き換えられないお金の預かりの部分は、財産に当たらないと判断しました。誰も持ち主になれないから(incapable of being owned)、というのが理由です。そのため、この部分を制裁したことは、財務省の権限を超えていたとしました。
判決は、この法律がカーター大統領の時代にできたことにも触れています。議会が新しい技術に合わせて法律を直すかもしれない、それまでは財産に当たらない、という書き方です。
判断は、書き換えられない部分に限られていた
裁判所が判断したのは、誰も書き換えられない部分だけです。Tornado Cashを「団体」として制裁できるかどうかは、判断する必要がないとして決めていません。
国の側も、2025年3月に裁判所へ出した書面で、判決をこう狭く読んでいます。判決は、Tornado Cashを団体として指定したこと自体を問うてはいません。書き換えられる部分のプログラムが財産に当たらない、とも言っていません。
この記事の題名の「解禁」は、この判決のことではありません。制裁を外したのは、次の節で書くとおり、財務省の判断でした。
政府が制裁を外すと、利用は戻り、制裁の前のどの月よりも多い月が来た
財務省は、判決に触れずに「裁量で」制裁を外した
2025年3月21日、財務省はTornado Cashを制裁の対象から外しました。発表は、外した理由を「政権の見直し」の結果だとしています。新しい技術の上の取引に制裁を使うことの、法と政策の問題を見直した、という書き方です。そのうえで、財務省の「裁量で」外した(we have exercised our discretion)と書きました。裁量は、決められた範囲の中で、自分たちが判断して決めることです。裁判所に命じられたとは書いていません。大統領が替わってから、2か月後のことでした。
同じ発表で、財務省は北朝鮮のハッカーによるお金の盗みと隠しを「深く懸念している」とも書いています。
翌月の2025年4月、最初の裁判所が、改めて判決を出しました。財務省は同じ制裁をもう一度しないとは言っていないので、裁判は終わっていない、という判断です。そのうえで、この制裁を違法として取り消し、財務省がこの制裁にもとづいて取り締まることを、この先ずっと禁じました。
解除のあと、入金は戻り、2026年7月に過去最多になった
制裁が外れた3月の入金は1,535件でした。翌月の4月は2,594件で、7割近く増えました。そのあとの1年半の平均は1か月5,430件で、制裁の前の9割近くです。
2026年7月の入金は11,419件でした。制裁の前でいちばん多かった2021年6月の11,013件を超え、数え始めてからいちばん多い月になりました。
制裁の前より入金が増えたのは、いちばん小さい額の窓口だけだった
件数は戻りましたが、どの窓口に入ったかは前と違います。制裁の前、0.1イーサの窓口への入金は、全体の8件に1件ほどでした。解除のあとは5件に2件ほどです。
解除のあとの1か月の平均の入金の件数を、窓口ごとに、制裁の前を100として比べました。白い縦の線が、制裁の前と同じ件数です。
制裁の前は2021年8月〜2022年7月、解除のあとは2025年4月〜2026年9月の平均です。1・10・100イーサの3つの窓口は、合わせて数えました。
出典:同上・元データ
0.1イーサの窓口の入金は、制裁の前の2.7倍ほどに増えました。1・10・100イーサの3つの窓口は、合わせても前の6割ほどです。小さい額の入金が増えたので、件数は前に近づいても、入ったお金の額は前の半分ほどにとどまりました。
ただ、額は月ごとの動きが大きく、比べるのに向きません。大きな額の入金がまとまって入る月があるからです。2026年10月は、28日分ほどで約14万2千イーサが入りました。制裁の前の1か月の平均とほぼ同じ額です。この記事が件数で比べているのは、このためです。
導入部の問いに戻ります。過去最多の件数が示しているのは、このプログラムに入る回数が戻ったことです。使う人やお金の量が前と同じだけ戻ったことまでは、示していません。
反対側から見ると
プログラムは止まりませんでしたが、作った人は裁判にかけられました。オランダでは、作った人の1人が2024年5月に、お金の出どころを隠す資金洗浄の罪で、5年4か月の刑を言い渡されました。報道によると、本人は上の裁判所に訴え直しています。その判決は、見つけられませんでした。アメリカでは、別の1人が2025年8月に、許可を取らずにお金を送る商売をほかの人と企てた罪で、有罪とされました。報道によると、ほかの2つの罪では陪審の意見がまとまらず、2026年8月の時点で、この裁判はまだ終わっていません。
国の側の最も強い主張は、このプログラムを通ったお金の中身です。財務省は2022年8月に、このプログラムを通ったお金の額を発表しました。2019年に作られてから、70億ドルを超えるお金の出どころを隠すのに使われた、という額です。そのうち4.55億ドルを超える分は、北朝鮮とつながるハッカーの集団が盗んだお金でした。額はどちらもドル建てです。オランダの裁判所も、このプログラムを「犯罪者に意図せず悪用された正当な道具とは言えない」と書いています。
財務省は2026年3月、議会への報告で、このようなプログラムの合法な使い道を認めました。誰でも読める記録の上で、お金のやりとりを、ほかの人から見えなくするための使い道です。同じ頁では、北朝鮮のハッカーはこのようなプログラムを使ったお金の隠し方が特にうまい、とも書いています。
解除のあとの入金には、盗まれたお金も入っていると報じられています。2026年の夏から秋にかけて、盗まれたお金がこのプログラムに入ったという調査会社の報告や報道が続きました。私の数え方は、誰が入れたかを見ていないので、その割合は分かりません。別の調査会社の報告では、解除のあとに入金した口座の数は、制裁の前より3割ほど少ないままです。
「制裁で使う量は減ったが、プログラムは止まらなかった」という見方は、英語では2023年から調査会社が書いています。2026年8月には、別の調査会社が解除のあとの入金を数え、2026年7月が過去最多だったと書きました。この記事の数も、同じ値になりました。その調査会社は数えた窓口がこの記事より多いと書いており、なぜ同じ値になるのかは確かめられていません。この記事に新しいところがあるとすれば、記録から数え直した数を、日本語で示したことだけです。
この記事が覆るとき
ドルに値段を合わせたコインなどの窓口と、イーサリアム以外の仕組みの上の窓口を足して数え直します。制裁のあいだの1か月の平均の入金の件数が、制裁の前の半分より多かったら、「5分の1に減った」を書き直します。足して数えた件数で、2026年7月より多い月が制裁の前にあったら、「過去最多」を書き直します。
別の上の裁判所が、誰も書き換えられないプログラムも制裁できると判断したら、2つ目の節を書き直します。そうしたプログラムを制裁できる法律ができたときも同じです。議会には2025年に、そのための修正案が出されました。2026年10月に確かめた範囲では、その文言は、議会で審議されている法案の本文に入っていません。
書き直すときは、この記事のはじめに、書き直した日と理由を足します。元データ、数え方、数えた結果は、図の「元データ」から取れます。
「止められないプログラム」と聞いたら、止まらなかったのは何で、減ったのは何だったのかを確かめてみてください。
2026年10月30日に直したこと: 数えた最後の日を「10月29日」から「10月28日(世界標準時)」に、制裁が続いた長さを「2年半」から「2年半あまり」に直しました(実際は2022年8月8日から2025年3月21日まで)。数え直しで分かったもので、数と記事の答えは変わりません。



