僕は最近、金融政策や通貨についての本を読んで、ある一文に衝撃を受けました。
通貨とは「負債」である。
……え? 通貨が負債?
それまでの僕の理解では、通貨とは「価値を保存するもの」「物々交換の媒介」でした。
でもこの言葉が、自分の中で何かを揺さぶったんです。
この記事の目次
「通貨=負債」の意味を知ったとき
本の中で語られていたのは、信用貨幣論と呼ばれる考え方です。
日本円のような法定通貨は、政府や中央銀行が発行し、それが「誰かの負債」であるからこそ成立する、という仕組み。
銀行預金は「銀行の負債」、現金は「中央銀行の負債」として帳簿に記録されます。
つまりお金とは、「誰かの信用に基づいて発行されている債務」なんですね。
仮想通貨は通貨じゃない?
この「通貨=負債」の枠組みに、仮想通貨を当てはめようとすると、途端にズレが生じます。
ビットコインやイーサリアムには、発行主体がありません。誰かの債務ではない。
つまり「誰かの借金」として発行された通貨ではない。
この時点で、僕の中で一つの前提が崩れました。
あれ、これって…仮想“通貨”って言うけど、そもそも通貨じゃないのでは?
僕は、仮想通貨を“プロジェクト”だと思っている
それ以来、僕は「仮想通貨」という言葉をそのまま受け取らなくなりました。
通貨というよりは、「社会課題を解決するためのプロジェクト」への投資対象。
仕組みを信じてお金を預け、その成長に期待する。
たとえば、ビットコインには発行上限があり、誰の負債でもない。
それは「価値の保存手段」として機能する点で、金(ゴールド)や株に近い。
でも株と違って、配当や法的権利はない。
やっぱり独自の存在です。
なぜ「通貨っぽい名前」が誤解を生むのか
“仮想通貨”というネーミングが、逆に理解を難しくしている気がします。
通貨だと思ってしまうと、「どこで使えるの?」「価値が安定しないのに通貨なの?」といった疑問が出てくる。
でも、そもそも“通貨”じゃないなら──
その前提を捨てることで、ようやく本質が見えてきます。
ミームやNFTに投資しない理由
僕自身、仮想通貨プロジェクトに惹かれるのは、「構造の美しさ」と「未来をつくろうとしている意志」が感じられるものだけです。
正直、ミームコインや流行りだけのNFTには投資していません。
価格が上がるかどうかじゃなくて、「社会にどう機能するか」という軸で選びたい。
通貨というより、未来の仕組み。
通貨というより、信じたい構造。
それが、僕の仮想通貨観です。
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